『下町ロケット』について個人的所感

こんにちは、今日は、先日読んだ池井戸潤さんの「下町ロケット」の個人的所感を書きます。

 

①この小説で問われるものとは:

何のために働くのか?

「仕事っていうのは、二階建ての家みたいなもんだと思う。一階部分は、飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ、生活していくために働く。だけど、それだけじゃあ窮屈だ。だから、仕事には夢がなきゃならないと思う。それが、二階部分だ。夢だけ追っかけても、飯は食っていけないし、飯だけ食えても夢がなきゃつまらない。」(下町ロケット 398頁)

 

去年に就活して、「何を実現したいのか?」「どんな将来にしたいのか?」と言った質問をたくさん受けた。

この感じの質問が増えたのはここ3年くらいだ、とある人事の方に教えてもらった。それまで、こんな質問は一般的ではなかったと言っていました。

 

だからこそ、池井戸さんが2013年に、「何のために働くのか?」という問いをこの小説を通して、世間に問いかけていたと思うと、なんていう先見の明だと驚きました。

しかも、それに対し、しっかりと、分かりやすい答えを披露している。(脱帽しましてね)

20代で慣習的に家族を持ち始める時期であるにも関わらず、給与はそんなに高くないという「現実問題」と「夢の追求」を目指す経営判断のやりとりにとても現実味があり、引き込まれるだけではなく、読み手を感情移入までさせる、描写がすごい。

 

しかし、不安に思うことがある。それは、今年、今月、今日出版された小説の中に、5、6、10年先の当たり前の意識を問いかける文があり、それに気付ける自分なのかということ。気づきたいな

 

②保身について

 

池井戸さんの作品を読むと、大企業の偉い職に就いている人間が、「保身」のためになんでもするという描写が多々ある。そして、何度見ても、「カッコ悪い」大人だという感想しか持てない。(まぁ、自分がその職に就いていないから、言えることかもしれないが)

 

この作品では、保身を走った人たちの特徴を端的に説明している文があったから、それを紹介したい。

「協力し合ってきた仲間たちは、お互いの本性を剥き出しにして、相手を批判し、自らの正当性を主張し合った。一旦保身に走った人間が、如何に頑なで自分勝手か」(下町ロケット 62頁)

 

自分の築いた過去を壊されるという、恐怖は誰にだったある。しかし、ことにサラリーマンにとっては、それが倍増すると思う。勤めている会社が「世界だ」と思う、ことがこの恐怖を何倍にも増長させると考えると、「サラリーマンとして働く」ことの方がホラーに見えてくる。この世界(=会社)で、働き続けるために、付き合ってもいられない人間と環境と共存しないといけないのだから。

 

安定=依存性、独立=自立性

肝に銘じておかないと・・・

 

③学んだこと

 

(a) 粗利(=売上総利益)とは:

材料費やサービス料、純粋にモノづくりに必要なものを差し引いた利益のこと。 

 

(b)営業利益とは:

粗利から、営業活動に使った金額を差し引いたもの。 

 

ここで赤字だと、本業が赤字だと指す

 

(c)経常利益(ケーツネ)とは:

営業利益から支払いの利息等を差し引いたもの。そして最終利益である。

いろいろな要因で赤字になる。

 

最初のつかみ方:

先ず Aという状態を描く。

 

次に、Cという状態から本題に入る。

 

Bという移行期の状態は、Cの中で語る。

 

これは書き物にしか、適用できないのか?

スピーチとかには適用で着るのか・・・

 

最後に、いつも池井戸さんの作品を読んで思うことがある。

それは、俺がどんだけ短気なんだということ。俺はこんな対応されたら・・・っていう想像をしていると、読み進むこともたまに忘れますね笑  小説を読む意義の一つとして、「共感性」を磨くためであるというのは、納得しますね。

 

スッゲースッキリしますよ!読んでみたらいかがですか?

下町ロケット (小学館文庫)

下町ロケット (小学館文庫)