『コンビニ人間』:自分の中の「普通」という概念がパンチされまくった件
こんにちは、今日は3年前に発売された『コンビニ人間』という本の感想を書いて見ました!
はっきり言って、この本を読んでいると、俺が偽善者のように思えてくる。
自分は個人主義的だし、変わっている人にも理解がある方だと”思っていた”が、そんな自分はこの150何ページでそんなことなかったって証明されたような感覚。
本のストーリーを何も知らずに読み進めると、少しづつだが文章からどこかをパンチしてくる感覚を覚える。でも何をどこを殴られているのかがわからない。しかもどうして殴られているのかもわからない、戸惑いを感じながら読んでいくと、徐々に気づいてく。
俺の「普通」という概念が殴られているということが。
- 本のあらすじ
- 我々は「普通」を強要していることに気づかない。
- 「普通人間」は社会の異物(人)を排除したくなる
- 私たちは「普通」という概念の(受動的な)信仰者である
- 「この世は現代社会の皮を被った縄文時代なんですよ」
- 「普通」の正体ってどんなもの?
- 最後に
本のあらすじ
36歳未婚、彼氏なし、コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる。
「いらっしゃいませー!!」
お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。
ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと、突きつけられるが・・・・。
Amazon商品説明欄より引用
我々は「普通」を強要していることに気づかない。
最初にこの文章を読んで欲しい。この文章は、俺にとってストレートなパンチとして顔面にヒットして、「俺=普通な人」が、「普通じゃない人」からどんな感じに映っているのかが分かった。
「(主人公のせりふ)でも、変な人って思われると、変じゃないって自分のことを思っている人から、根掘り葉掘りきかれるでしょう?その面倒を回避するためには、言い訳があると、便利だよ」
皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。私には、それが迷惑だったし、傲慢で鬱陶しかった。
そう、俺らは「変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。」
こんな「普通な人間」として振る舞っている自分たちをそのまま鏡に映された気分だった。
「普通じゃない人」の理解者になるために色々な質問をして、「どうして」こんな現状になっているのかを考えたりする。そしてすべての提案が「普通になるため」という前提に立っている。
俺は「変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると」思い込んでいる。しかし、その態度が傲慢さでしかないということを認識した。
「普通人間」は社会の異物(人)を排除したくなる
- 35歳
- 男性
- 定職はなく
- 結婚もしていない
- コンビニでアルバイトしており
- コンビニのルールも守れない人であり
- サボり癖がある人
こんな特徴を持った男性をあなたはどう思いますか?
上の特徴を持った登場人物は、すぐにクビにされ、去った後に元同僚から言われたい放題。
この世の中の「普通」に収まらないと、「異端者」として扱われ、はっきりと嫌悪感を明示されながら排除されるという、シナリオが「普通じゃない人」に待っている。
おそらく、この本を読む多くの人はこんなシナリオを経験したことがないと思う、俺も然り。しかし、我々は静かに「異端者」を排除していく人間である。
あんな人は社会のお荷物だと、糾弾することもある。そして、「異物(人)」に出会うと、我々は「普通同士」で団結して、異物に対抗する。
「普通人間の正義感」として、「普通じゃない人」を矯正しようと試みる。しかもその権利を持っていると無意識に思い込んでいる。
我々は、こんな低俗なものなんだなと理解した。
普通な人がいかに「普通じゃない人」を矯正することができるのかをコンビニで働く間に知った主人公は、コンビニの新入りで「普通じゃないひと」の抗いを見て、放った一言があまりにも私にとって、パワーワードだった。
「あの・・・修復されますよ?」
「コンビニは強制的に正常化される場所だから、あんたなんて、すぐに修復されてしまいますよ。」
社会に出れば、強制的に正常化される場所なんだと、理解させてくれた。
「普通」を求められるこの社会では、自我をもって「他の生き方」を選ばない限り、「普通」というモードに強制的に修復される。
私たちは「普通」という概念の(受動的な)信仰者である
普通人間が「普通」を普通じゃない人に勧めているシーン? やりとりがある。
このやりとりががあまりにも痛快すぎて、滑稽すぎて、気持ち悪すぎて、普通人間の自分が嫌いになった・・・
このやりとりの状況説明:
バーベキューをやっており、主人公が30代後半で就職もしていないこと、結婚もしていないことについて聞かれ、バーベキューのある参加者(男性既婚者)が結婚をした方がいいと説得にしかかるというところから始まる。
「あ、婚活サイトに登録したら?そうだ、今、婚活用の写真とればいいじゃん。ああいうのって、自撮りの画像より、今日みたいなバーベキューとか、大勢で集まっているときの写真のほうが、好感度高くて連絡来るらしいよ!」
「へぇ、いいねいいね、撮ろうよ!」
ミホが言い、ユカリの旦那さんが笑いを堪えながら、「そうそう、チャンスチャンス!」と言った。
「チャンス・・・それって、やってみるといいことありますか?」素朴に尋ねると、美穂の旦那さんが戸惑って表情になった。
「いや、早いほうがいいでしょ。このままじゃ駄目だろうし、焦ってるでしょ、正直?あんまり年齢いっちゃうとねえ、ほら、手遅れになるしさ」
「このままじゃ・・・・あの、今のままじゃだめってことですか?それって、何でですか?素朴に聞いているだけなのに、ミホの旦那さんが小さな声で、「やべえ」と呟くのは聞こえた。
「普通」という概念に素朴に疑問を呈すると、「普通の人」は何も言い返せないという事実を、そのまま写出さしている。
「普通」っていうものに加勢する人が大勢いるけど、「普通」って何のかが・何故良いのかか分かっていない人も大勢いる。俺もだぁ・・・
「普通」という概念が俺らの真髄までへばりついてるからこそ、疑問を呈されると、俺らは思考停止のように振る舞う。「いや、だってそのほうがいいからでしょ」という風にしか言い返せない。
みっともない。こんなんで他人の人生に口出しなんかしたくない、自分にとっての自戒。
しかも、「普通の強要」は手強い。これを実感した主人公が異物であり続けることのリスクを述べている。
この文章を読むと、紛れもなく、我々、普通人間が排他的であることの現れであり、包容力のかけらもないことの証明である、この21世紀でも。
「正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。真っ当でない人間は処理されていく。そうか、だから治らなくてはならないんだ。治らないと、正常な人達に削除されるんだ。家族がどうしてあんなに私を治そうとしてくれているのか、やっとわかった気がした。」
『コンビニ人間』77ページより
21世紀でも、こんなことを「いち人間」に思わせている時点で、俺らは進歩をしていなかったということだ、悲しいかな。
俺らの社会や考え方はいつから変わっていないのか?
「この世は現代社会の皮を被った縄文時代なんですよ」
作者は、いわゆる「ダメ人間」の登場人物白羽さんを通して、この世の中は縄文時代から現代まで、本質的には変わっていないことを紹介している。
縄文時代とは:
「ムラのためにならない人間は削除されていく。狩りをしない男に、子供を産まない女。現代社会だ、個人主義だといいながら、ムラに所属しようとしない人間は、干渉され、無理強いされ、最終的にはムラから追放されるんだ。 (中略)
この世は現代社会の皮を被った縄文時代なんですよ。大きな獲物を獲ってくる、力の強い男に女が群がり、村一番の美女が嫁いでいく。狩りに参加しなかったり、参加しても力が弱くても役立たないような男は見下される。構図はまったく変わってないんだ。」
『コンビニ人間』84-85ページより
今でも、社会にとって有用ではない人間を「ダメ人間」としてレッテル貼りを何度もして生きている。その最たる例が、近年ではニートかもしれない。
そして、俺らは「自分は」・「自分の子どもは」がそうなってはいけないように躾ける。「ダメ人間」を否定し、排除しながら。
構図はまったく変わっていない。中身が変わっているだけ。
もっとも、登場人物の「ダメ人間」白羽さんはもっと強烈な表現方法でこの構図を批判している。
白羽さんのような男が「異物」として見られた結果、下記のようにしか「この現代社会」を見ることしかできなくなっている。無論、この見方は新鮮すぎて、強烈すぎる。
「外に出たら、僕の人生はまた強姦される。男なら働け、結婚しろ、結婚したらもっと稼げ、子供を作れ。ムラの奴隷だ。一生働くように、世界から命令されている。僕の精巣すら、ムラのものなんだ。セックスの経験がないだけで、精子の無駄遣いをしているように扱われる。」
『コンビニ人間』100-101ページより
こんな文書を否定する人は、いるのかな?
俺は上の文に書いていることは事実だと思う。
「男なら働け」や「子供を作れ」、「結婚したらもっと稼げ」あるいは、童貞というものを嘲笑したりするというのは、事実だと思う。
上記のような汚く・蔑んでいる表現に拒否反応を覚えるの至極当然だ。
だって、普通は「働け」という事実に「希望」・「自己実現」という言葉で修飾がされているから。
また、「子供を作れ」という事実に対して、「幸せ」といった形容詞がついてくるからだ。
つまり、自分は「子供を作れ」という事実を、「きれいに単語に修飾されている事実」という一辺倒な視点がなく、それが「社会の普通」であり、「幸せ」だと思い込んでいる。しかも、マイノリティーに対して、理解があるように見せながら、本当は不躾にも「綺麗に彩られた事実」をズケズケを強要している。
俺が、何も考えていないで「彩られた事実」を強要する人間になっているとは、考えもしなかった。
「普通」の正体ってどんなもの?
俺は、この下の文を読んだ時、とってもとっても興奮した。こんなわかりやすく「普通」の正体を言い表せるのかと、驚嘆したし、舌を巻いた。その文を読んで欲しい!
もうとっくに、マニュアルはあったんだ。みなの頭の中にこびりついているから、わざわざ書面化する必要がないと思われているだけで、「普通の人間」というものの定型が、縄文時代から変わらずずっとあったのだと、今更私は思った。
『コンビニ人間』92ページより
もう決めらているレールというか、シナリオがこの世の中にあるんだな。良く俺らは親が決めたレールということをかなり気にするが、実は世の中にもすでにレールというものがきちんとあるんだ。
そのレールは、明文化されることもなく、取り上げられることもなく、挙げだまにされることもなく、昔からずっとあるんだ。俺らは「普通」という名のレールの上に生きている。そしてそれを強要している。
「普通」ってそんな形をして、俺たちの社会にへばりついているんだ、知らなかった。
ちなみにこの文を読んだ時に、ポストイットに書いた率直な感動がこれです笑
「すっげんーーー考察だし、わかりやすい説明。こんなを考えを聞くだけで、俺めっちゃテンション上がったわ!すごい本当に、脱帽する。」
最後に
俺は多分この文を忘れないと思う。俺ら「普通の人」は何様なんだ?
「普通の人間は、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんです。」
『コンビニ人間』115ページより
普通じゃない人にとって、「普通の社会」で生きることが難しいし、理解もクソもない。
だが、逆に「普通の人間じゃない」人を親戚関係にいることが「普通の人間」にとってきついことだということも十分理解できる。
「普通」という概念に取り囲まれて、俺たちは生活していることが実感できる本だと思う。そして、俺たち普通人間は、「普通じゃない人」たちいつまでも、”良心”という大義名分をもとに治してあげるんだろうな。
だって、「普通じゃない人」が生きれる社会の構築より、「普通の人」に治すことの方が楽なんだろうな。はぁ、なんか申し訳なく感じる。
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