『読みたいことを書けばいい』での学びと少しだけの所感

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

 

学び

 

・書きたくなる理由

 

たまに、自分自身が抱く「なぜ」を解明したくなる時がある。

筆者は、シンプルにそれを後押ししている。

 

「その理由を自分が読みたくてしょうがなくなり、面倒くさいけれども書いてみよう、という気持ちが止まらなくなったのだ」(21,22ページ)

 

何度かそんな体験をした事がある、でもこれが「書く事」の源泉だと思っていなかった。これは一つの学びだった。

 

だから、他人の評価や他人に読まれたかを気にすんな。だって、誰も読んでくれないから

それなら、自分の源泉に忠実、正直に書いた方がよっぽど幸せ




・「ネットで読まれている文章の9割は「随筆」」

 

では、その「随筆」とは?

例えば、goo辞書以下のように定義している。

 

自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章。随想。エッセー。

 

しかし、筆者をこれを多少補った定義を示している。

 

「事象と心象が交わるところに生まれる文章」

(54ページ)

 

筆者曰く、「事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えた事を書きたいし、また読んでみたい」(55ページ)」

 

これは、真っ当すぎて反論の余地がないと思う。だから、コメンテーターの意見を聞くし、知恵袋で人生相談もする。

 

そのため、筆者は事象をしっかりと調べて、調べ尽くした上で、ほんの少しの心象を書くべくだと言っている。「物書きが調べる事が9割9分5厘6毛」(144ページ)



・物書きにとって、定義を持つこととは:

 

自分の原点や拠り所を作る事と類義語




気付き

 

・趣味の話

 

趣味の定義とは?

個人的な定義はこうだった。

「余暇に、自分を楽しませてくれる物・事に熱中して、満足感あるいは幸せを感じるという作業。」

 

しかし、筆者の定義を読むと、俺の定義が単なる趣味のイメージにしか感じない。

俺の定義には考察がないからだ。

 

著者の定義

 

手段が目的にすり替わった事」

(62ページ)

 

例:私は、知識や知恵を知る事が大好き。しかし知識や知恵は、本来ある問題解決のための「手段」にすぎないない。私の場合、知識や知恵を知る事が目的であり、問題解決は二の次。

なるほど、趣味の本質をしっかりと射ていると思う、定義だ




・誰かを想定して書くより、自分を楽しませて書くことの大切さ。

 

読まれることはめったにないことなんだから、読まれないと落ち込むという事が間違っている。

 

だって無名の人の話を面白がるのは、なかなかいないもん。

居酒屋の隣のおっちゃんの話聞くより、youtubeで、松本人志のすべらない話を見た方が、絶対に面白い。

 

だったら、自分で自分を書き物で楽しませる方が満足感があるかもね、と著者は言う。

 

でも面白いから共有したくなるし、読んでほしいって思うけどな。著者は「自分がおもしろいと思えれば幸せ」という姿勢を徹底した方が、むしろ「読まれるチャンスが生まれる」と言っている。

 

しかし、「読まれるチャンスが生まれる」に、どんな経験則があり、これを言っているのかが知りたいかな。そこの展開に、自分の頭が追いついていない。




最後に

 

知的さがそこらへんに散りばめられている。

なのに、バカでおもしろい文、がこの本の最大の特徴だと思う。

この人は一体なんだ!!笑っていう気持ちが強くなり、なんか意識が振り回させる

 

そして、この本の最後に、本にしては壮大なボケが面白かった笑笑

だから、絶対に最後のページを見ないで読んで欲しいな!

 

ちなみに、

この本の目次を見れば、この本がいか真っ当なことを書いているのかがわかる。

 

 

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